ピアノの素質と才能とは
私が、娘のピアノ講師探しに奔走する事になったのは今から一年前、発端は、娘が”勉強をしたくない・・・と云ったから”です。”嫌な事をするより好きな事をする方がいい”という考えの私は、それじゃあ高校は音楽高校を選んだら?と、軽い気持ちで言いました (中学に入学したての頃で、当時は、大手音楽教室に通っていました。)そこで、色々と調べていくと、
音楽科のある学校に入学する為には、ソルフェージュを習得しなければならない。という事と、入試対策のピアノレッスンをされている先生の元で習う必要があるという事を知りました。
当時の先生からの助言があり、おすすめのソルフェージュ科のある音楽学校(小学生から高校生までが通っている)へ入学し、ソルフェージュの勉強を始めました。それから、ご紹介頂いた入試対策のピアノレッスンをされている先生の元へも通う事になったのですが、片道一時間の送り迎えが必要なお教室だった為に、時間的に通う事が困難になってしまい、そこからピアノ講師探しの日々が始まりました。
しかし”音楽科のある学校の受験対策レッスンをされている先生”を探し始めると、どの教室をどんな視点で選べば良いのかが分からない上に、教室をはしごするのも気がひけます・・・。と、いうわけで、今回は、その負担を少しでも減らす事が出来たらと思い、
本気で”ピアノが上手になりたい!いい先生に出会いたい!けれど、ツテもコネもない!という子の為の先生探し”に焦点を当てて、書いていこうと思います。
子供のピアノの腕は先生次第。少し大袈裟かも知れませんが、現在13歳の娘のレッスンを、これまで見てきての感想です。
しかし、ピアノ講師が、親族や身近にいる場合を除いては、この事はさほど重要視されていない様に思います。かくいう私も、一年前までそこまで深く考えず近所の大手ピアノ教室に子供を通わせていました。
大手のピアノ教室などでは、そもそも先生を選べません。大抵、初めに割り当てられた先生が担当になります。中には納得のいくまで割り当てられた先生をチェンジされる方もいらっしゃるかもしれませんが・・・。私は知りません。なので運の部分が大きいな。とは思っていました。
当の我が家は、ピアノが弾けたらいいよね。位の気持ちで、娘にピアノを習わせ始めましたし、身の回りに音楽の専門家がいない為、ピアノの演奏技術に対しても、素質や才能という視点でしか見ていなかったのです。
うちの子、素質はあるのかな?才能はあるのかな?と、その様な視点で”どこまで習い事としてのピアノに力を注いでも良いものか?”と、いう目線です。
しかし、その世界に深入りしていくうちに気付いたのは、質の高いレッスン受け、良い練習をすれば素質と才能が生かされるのだ、という事。その練習の質を上げるためのコツを教えて下さるのが先生だという事と、先生の力で2乗、3乗になっていくという事です。
というわけで、親が協力できるのはピアノの前に座る時間を確保する事と、良い先生を探す事だと気付いたのでした。
ピアノの先生の探し方
インターネットで調べていくと、その先生がどうか?良い先生なのか?どうなのか?といった目線の動画や記事は沢山ありました。が、よく見ていくと、ピアノ教室やピアノの先生発信の”いい先生探し”がほとんどで、発信元は、生徒を募集している側からの発信記事が殆どでした。
私が知りたかったのは、生徒と保護者から評判が良く人気のある先生!だったので、探せば探すほど、さらに迷子になってしまいました。そういうわけで、散々迷子になった私だからこそたどり着いた答えと、こんな風にして素敵な先生に出会えたよ!という内容ですので、素敵なツテのある方には全く旨味の無い記事かな・・・と思います。
先に結論から書きますと 音楽を楽しんでみえる先生を探す のが近道だ。です。
この好きというワードはなかなか曲者で、当然好きでないと公言されている先生はいるはずも無く。しかし、得意、上手で、ずっと学び続けピアノ講師になりました。という方の中に、子どもの頃から厳しい練習を強いられていた為に実はピアノに対して、すごく複雑な感情を抱えている。しかし間違いなく得意だ。と言う傷を抱えた先生が意外といらっしゃるという事を今回の先生探しの期間に知ってしまったからです。更に、小さい頃から厳しい練習で音楽家を目指したが、狭い世界で仕事も少なく、思い描いていた演奏家という立ち位置では無く、お世辞にも上手とは言えない子供を前に辟易しておられただけかも知れません。どちらにしても
ベートーベンやモーツアルトの伝記でさえも厳しい教育と音楽家がセットで描写されているので、そういう世界なのかな?とも思いがちですが、厳しい教育を受けて来られたとおっしゃる先生(恐らく大変な世界であると注意喚起としておっしゃって下さっての言動だとは思いますが)はやはり、”得意”ではあっても、”音楽がお好きなんだな”とはどうしても感じられませんでした。
又、この他にも音楽教育の闇の部分に関しては、一時期、書店で目を引いた【「音大卒」は武器になる 】の著者である山内孝夫教授の著書【音大崩壊】の中でも示唆されていた、”音楽教育の在り方”も大きく影響しているのかも知れません。(この本は、これから音楽の世界に入っていきたい!という方にも、とても参考になる本です。)
そして、もう一つ、事を難しくしていると感じたのは、先生の肩書や経歴でした。”出来る事”と”教える事”はそれぞれ全く別の能力と知識なので、どんなに演奏技術が高く、コンクールでの受賞歴が豊富でも、生徒への指導のための勉強をされていて教えることが得意かどうかまでは全く分かりませんでした。
私は自身が画家として活動していた経験から、一つ思っている事があります。それは、芸術は、言葉では表現しきれない感情や思考を形にする手段であり、絵画、音楽、文学、舞踊などを通じて、人々は自分の内面的な世界を他者と共有することができます。そんな、感情の機微を表現する右脳の言葉を扱う表現者たる人物が、はたして説明上手の子供の先生という恐らく言葉で感情を分析したり説明を要する左脳派ポジションを両立させる事が出来るのだろうか?という疑問です。この様に疑ってかかっていくと、結局は先生が音楽を楽しんでいれば、素敵だなもっとこんな風に弾きたいなとモチベーション大幅アップ してくるのではないか?と思えてきたわけです。そして、
生徒を巻き込むほどの音楽好きな先生を探そう!となりました。
今はインスタなどの発信媒体があるので、お人柄を伺い知ることが出来ます。そして、生徒と自身の教室と音楽に傾ける熱量が見えるので判断材料として有難いなと思いました。
又、ピアノ教室を検索出来るサイトなどもありますので、気になる先生が見つかったら、どんどんSNS等の発信媒体をチェックしていきました。
そうして最終的にお会いしてみて、二人三脚で一緒に走って頂ける先生を探そう!という所に落ち着きました。当人の良い所を汲み取って下さって「あなたの演奏はこんな良い所がある。ここが良いよね。だからここを生かしていこう!そしてここが苦手だから頑張ろう。」と、背中を押して頂ける先生きっと出会えると思います。
結果的に面白いなと思ったのが、・・・好きこそものの上手なれ。好きで上手になられたパターンの方を探すのが速いのかも知れません。勿論この辺りは直接お会いして探りを入れていきました
。具体的には、地域のコミュニティなどに所属して演奏活動をしておられたり、他にも楽器をされていたり、お好きなピアニストや音楽のお話を楽しそうに聞かせて下さったり、そんな先生の元で指導を受けたらきっと今よりずっとピアノが好きになるでしょう。
ピアノを習いに行って、先生に何を求めるか。 趣味で楽しんで弾きたいのか 、技術的な事を求めるのか 、感性が合うか 、など、求める物によっても、自分にとってちょうどいい先生が変わって来るでしょうが、今回の先生探しの日々は、沢山の発見がありました。
皆さんも素敵な先生に出会えます様に。